2016年6月30日木曜日

日本語能力試験N2 文法 「~にしたがって、・・・」

日本語能力試験まであと3日。ラストスパートの調子はいかがですか。

南に行くにしたがって、暖かくなる。


「Nにしたがって、・・・」「V辞書形 にしたがって、・・・」

意味:「Nが変わると、・・・」「Vと、・・・

例)
祖父は年を取るにしたがって、ますます頑固になってきた。
世の中の動きにしたがって、株価が変わる。
留学生活が長くなるにしたがって、この国のルールに慣れてきた。

では、練習です。順序を入れ替えて文を作ってください。

1 (   )(   )(   )(   )、リスクが増える。
a 心臓病の   高くなる  にしたがって   d 血圧が

2 ペットの(   )(   )(   )(   )増える。
a 増える  b 手間も  c 数が  d にしたがって

3 結婚式は、(   )(   )(   )(   )
a 変化に  b 変わってきた  c したがって  d 時代の

答えは一番下にあります。体調に気を付けて勉強しましょう。また明日。


答え 1 dbca   2 cadb  3 dacb



2016年6月29日水曜日

日本語能力試験N2 文法 「~において、~における」

では、続けましょう。

Photo credit: Adrián Pérez via Visualhunt / CC BY-SA


海外において、日本レストランの数が急増している。

「Nにおいて、・・・」「N1におけるN2

意味:「Nにおいて」=「Nで」「Nに」
「N1におけるN2」=「N1N2」「N1でのN2

例)
今年の夏、ブラジルのリオデジャネイロにおいてオリンピックが行われます。
江戸時代の日本において、キリスト教は禁止されていた。

日本の大学における留学生の数が増えている。
ペニシリンは、20世紀における偉大な発見の一つだ。
小学校における英語教育の必要性には疑問の声もある。

「~において」「~における」は、かたい表現です。主に書き言葉に使われます。
「~において」「~における」の前には、場所や時間を表す名詞が来ます。
「~における」の後には、様々な名詞が来ます。
日本の大学における留学生
20世紀における(偉大な)発見
小学校における英語教育

では、練習です。順番を入れ替えて、文を作ってください。

1 (   )(   )(   )(   )地位はまだ低い。
 a 社会  b 女性の  c において  d 日本の

2 中古車を売るには、(   )(   )(   )(   )価値を知る必要がある。
 a における  b 車の  c 自分の  d 市場

3 犬は、すでに(   )(   )(   )(   )暮らしていた。
 a 人間と  b 原始時代  c 共に  d において 

答えは、一番下にあります。
また明日、午後7時に新しいのが出る予定です。

その他の文法N2
「どうせ」


答え
1 dacb   2 dacb  3 bdac





2016年6月28日火曜日

日本語能力試験N2 文法 「~てしょうがない、~てたまらない、~てしかたない」

こんにちは。
今日もしっかり勉強しましょう。


お腹が空いてしょうがない「~てしょうがない、~てたまらない、~てしかた(が)ない」


意味:とても~、

がまんできないほど~

例)
眠くてたまらない。
暑くてたまらない。
喉がかわいてしょうがない。
家族に会いたくてしかたがない

感情や感覚を表す形容詞・動詞のテ形や
動詞+たくて
につきます。

では、練習です。(   )に入る言葉を下の【 】の中から選んでください。必要なら、形を変えてください。

1 一人で暮らしているので、(     )たまらない。
2 クーラーが強すぎて、(     )しょうがない。
3 一人で暮らしている祖母のことが(    )しかたない。
4 トイレに(    )しょうがない。
5 蚊に刺されてしまった。(    )しょうがない。
6 家内は自分が悪いのにあやまらない。腹が(   )しょうがない。

【寒い、行きたい、立つ、かゆい、心配、寂しい】

答えは一番下に小さく書いておきます。
また明日、午後7時に新しいのが出る予定です。

前回、前々回はこちら。

「どうせ」
「~だけに・・・」

答え: 1 寂しくて 2 寒くて 3 心配で 4 行きたくて 5 かゆくて 6 立って

2016年6月27日月曜日

日本語能力試験N2 文法 「~だけに、・・・」

それでは、勉強を続けましょう。


今日は絶対バナナをくれると言っていたのに・・・
期待していただけに、失望も大きい。

「~だけに、・・・」


意味:「~だから、なおさら・・・」

例)
彼が不倫していたとわかった。
信じていただけに、ショックだ。

弟が足の骨を折った。
スポーツが好きなだけに、動けないのが何より辛いようだ。

離れて住んでいるだけに、両親の声を聞くのが楽しみだ。

彼女はプライドが高いだけに、リストラされたことを友達に言えないでいた。

「だけに」の前は、動詞、形容詞の普通形が来ます。
ナ形容詞の現在形は、「なだけに」となります。

では、練習です。aからdの言葉の順番を入れ替えて、正しい文を作ってください。

1 (   )(   )(   )(   )、大好きな姉と別れるのが辛かった。
  a 小さかった  b わたしは  c だけに  d 当時

2 (   )(   )(   )(   )、毎日多くの餌を必要とする。
  a 体が b だけに c 象は d 大きい

3 (   )(   )(   )(   )、大きなストレスに耐えられないようだ。
  a 妻は  b 繊細な  c 彼の  d だけに

答えはこの記事の最後に小さく書いておきます。
では、また明日、午後7時に更新します。


1 bdac または dbac 2 cadb 3 cabd



2016年6月26日日曜日

日本語能力試験N2 文法 「どうせ」

日本語能力試験があと一週間に迫りました。
今から点数を上げるには、語彙と文法の見直しがお勧めです。
これから毎日一緒に復習をしましょう。


どうせ何をやっても変わらない。


「どうせ」

「何かをしても結果が変わらない」と言いたいとき使います。

例)
今から勉強しても、どうせ受からないよ。
簡単な試験だから、勉強しなくても、どうせ受かるよ。
やってみても、どうせ無理だ。
どうせ私なんか、何をやってもだめだ。
何を言っても、どうせ彼女は許してくれない。

「動詞+ても」と一緒に使うことが多いですね。

こんな使い方もあります。

どうせやめるなら、言いたいことを言ってやめたい。
(何を言ってもやめることは変わらない。だから、やめる前に言いたいことを言いたい)

転勤で北海道に行くことになった。どうせ行くなら、北海道の生活を思い切り楽しもうと思った。
(行くことはもう決まっていて、変わらない。)

では、練習です。正しい方を選んでください。

1 運動をしても、どうせ(a やせられる。 b やせられない。)
2 どうせ先生には(a 見せる b 見せない)んだから、きれいに書くことはない。
3 どうせ(a あやまらなければならない b あやまらないでいい)んだ。早くあやまってしまおう。

今日はここまで。この記事の一番下に、小さく答えを書いておきます。

では、また明日。



練習の答え:1 b    2 b    3 a 


2016年6月25日土曜日

読み聞かせを楽しもう


息子にとって、初めの本との出会いは、布やビニールでできた「オブジェ」としての本だったと前の記事で書いた。

次のステップは、読み聞かせだったと思う。

幼い子どもは、遊びながら聞いていることも多いそうだ。

息子の場合も、私が読んであげているのに遊んでいることもあった。

「あれ、興味ないのかな?」と思いつつも読み進めていると、突然的を突いた質問をするので、驚いたこともある。

2歳くらいの幼い子どもは、人が読んでいる時に遊んでいるからといって、失礼なことをしているという意識はない。

集中の仕方が大人とは違っているようだ。

おとなしく座って聞くことを強要したら、読み聞かせが嫌いになってしまうかもしれない。

息子は、幼稚園に行くころには、ちゃんと座って先生の話を聞けるようになっていた。

それぞれの年齢にふさわしい聞き方というものがあるのだろう。

そんなふうに一緒に(?)読んだ本はどんどんたまっていった。最初、子どもは一緒に読むときしか本を見なかった。

しかし、ある時、棚から自分の本を一冊一冊出して、熱心にページをめくりだした。

まだ幼稚園にも行っていなかったので、読んでいたわけではない。

絵を見たり、読んでもらった話を思い出したりしていたのだろう。

その間、泣きもせずに一人で遊んでいてくれたので、私がものすごく助かったのは、言うまでもない。

おもちゃもそうだが、買って与えるだけでは、幼い子はあまり興味を持たない。最初に家族が一緒に遊んであげると、後で一人でも遊ぶようになる。

電池を使わないシンプルなおもちゃでも、大人がたっぷり一緒に遊んであげると、興味が開かれるようだ。

2016年6月23日木曜日

本は何歳から? - 赤ちゃんも本を楽しむ


幼いうちに外国語を学ぶなら、聞く力や発音に力を入れた方がいいと前に書いた。

読解や文法はもっと後でも十分間に合う、と。

これは外国語を習う時の話である。

単に読書ということなら、早いうちに始めた方がいい。読書の喜びは一生の財産となるだろう。

言葉を覚える前にも、赤ん坊は本に興味を持つようである。

紙はけっこう危ないので、赤ん坊に紙の本を持たせることはできないが、最近は、乳児用に布製やビニール製の本を売っている。ビニール製なら一緒にお風呂にも入れる。

私自身、出産祝いにビニール製の絵本を貰った時は、ちょっと早いのではないかと思った。が、ベビーベッドの中に絵のように立てかけておいた。すると、息子はとても興味を持ったらしく、一生懸命見つめていた。

もう少し大きくなって、自分でページをめくれるようになると、ますます本が好きになったようだった。

本が好きになったと言っても、まだ言葉も喋れなかったから、もちろん絵を見ていたのだ。ページをめくるごとに、新しい世界が展開される。そんな本の構造は、赤ん坊をさえ魅了するようである。

2016年6月21日火曜日

英語と論語



結局、現在のところ、小学校には英語と共に、古典も導入されている。日本の古典と漢文である。

英語を導入するには、教育学的議論や統計による分析が行われたと思う。が、古典の導入は、英語に対抗するような形で現れてきた感がある。

古典を小学校で導入することが本当に必要なら、やったらいい。小学校で導入することが、本当に効率的なら。

前々回の記事で書いたが、より年齢の低い子どもたちがより優れているのは、耳で聞いて、口で発音する能力である。

ところが、古典の勉強は読解であり文法だから、小学校で導入しなければならない理由は、どうもわからない。

特に漢文は、当時の日本人の男性にとってさえ、読解であり、文法であった。漢文のリスニングなどというものは、ありえなかった。

李白や杜甫、孔子が、実際どのように発音していたのかわかりようがなかったから、当時の日本の知識人は、日本語流に読む方法を編み出した。それが漢文という、日本人の教養になっていった。

個人的には、私は漢文が大好きだ。中国語の発音とは似ても似つかぬ、あの硬い発音もかっこいいと感じる。

ただ、それを小学校で導入しなければならない理由はどこにあるのか、それが解せない。

百人一首をやらせるのもよくわからない。ゲーム性があるから、楽しみながら学ぶという側面はわかる。そういう意味で楽しんでいる小学生は確かにいるだろう。

しかし、百人一種の恋愛感情にピンとくる小学生が何人くらいいるのか。

短歌や俳句をよくする人の話では、百人一首に取られた歌が、その歌人の最高傑作というわけではないらしい。

ゲーム性があるから百人一首というのは、ちょっと安直ではないか。

日本語のリズムを身に着けるという意味では、いわゆる七五調はいいのだろう。「いろはかるた」ならわかる。ことわざを覚えられるという利点もある。

どうしても小学校で古典を導入したいというのなら、小学生の生活感覚に近いものの方が効果的ではないか。例えば、小林一茶だったら、小学生も目を輝かせる。

小学校に古典を導入して古典嫌いを増やすなら、やめた方がいい。

2016年6月20日月曜日

英語と論語 2



英語を小学校から導入するかどうか議論していたとき、こんな意見がありました。

母国語がちゃんとできるようになる前に外国語か?
自分の国の言葉をやるのが先じゃないのか?

お答えします。

国際結婚などで両親の母語が違う場合、現在では多くのカップルが、それぞれの母語で子どもに話しかけるのが普通です。そして、子どもは自然にバイリンガルになります。子どもたちの知的発達には何の問題も認められていません。

もちろん、話すこと、聞くことと書くことは別ですから、書き言葉は、また別に学習しなければなりませんが。

二つの異なる言語体系を知っている子どもは、3つ目を学ぶときも、あまり抵抗がないようです。

また、これもかなり前から知られていることですが、外国語を学ぶときは、一つだけではなく、いくつも並行して学ぶと効率的だそうです。私自身は経験がありませんが、ヨーロッパの友人の中には、3か国とか5か国語を話せる人がざらにいます。

ちなみに、母国語がちゃんとできるって、どういうことでしょうか。

私は日本語の教師として、日々勉強に努めてはいますが、完成には至りません。いつになったら、「ちゃんと」できるようになるのやら。

それでも、文部省の日本語教育能力試験、つまり日本語教師としての正式な資格は持っております。

小学校5,6年の子どもは、とっくに母国語ペラペラです。ちゃんと、ペラペラです。




2016年6月19日日曜日

英語と論語 1



現在日本では、小学校5年生と六年生に、年間35時間の英語教育を課している。

音楽と語学は早い方がいい

なぜ中学からではなく小学校からにするのか。その理由は、音を聞き分ける能力や、音を自分の口で作り出す能力(つまり発音する能力)は、若ければ若いほど優れているからだろう。そのことは世界中で行われた様々な調査で明らかにされている。

成長すると、自分の母語にある音以外は聞き分けにくくなるし、母語に無い発音もしにくくなる。

例えば、日本人の学習者はLRを混同しやすい。
フランス人はHなしで発音してしまうことが多い。(だから「はな」が「あな」になってしまう。)フランス語ではHは発音しないからだ。
韓国の学習者は、濁音が苦手だ。害が貝になってしまったりする。

しかし、子どもたちは簡単に発音の問題をクリアーする。

この点は、音楽教育と似ている。音を正確に聞き分ける力は、幼いときに育むのが一番効果的なのだ。

大人になってから苦労するより、幼いときに楽しみながら学んでしまった方が効率的だということだろう。

クラシックの演奏家として成功した人は、幼い時に始めたという人が圧倒的に多い。

その点、絵画や文学は別である。マチスのように、18歳を過ぎてから本格的に絵を始めて、大画家になる人もいる。

語学の学習といっても、読解力や文法は、成長してからでも十分身に付く。

だから、今小学校の英語教育を、発音や会話重視で行っているのは理に適っていると言える。

ただし、年間35時間で効果があるのかどうかは何ともいえない。やらないよりはマシという程度だろう。

世界には自分の母語と全く異なった言語があるということを、理解しておくためだろうか。


2016年6月18日土曜日

日本語能力試験、がんばって

JLPT、日本語能力試験。2016年一回目は7月3日(日)に迫っています。

先生も学生も追い込みに入ったのでは。

N1を受けるにせよ、N2を受けるにせよ、N3を受けるにせよ、語彙や文法は、今まで習ったものを復習することに時間を使いましょう。自分一人でで勉強する時は、これから新しい問題集などに手を出さないことです。

今まで自分が書いたノートがあればそれを見直し、忘れたところがないかチェックしましょう。これまで勉強してきた参考書をもう一度見直しましょう。

今まで勉強したことを全部覚えていたら、さらに新しいページに進んでもいいでしょう。

聴解や読解は、毎日一問づつでもできるといいですね。

今まで何もしていなかった人は、もちろん、これから急いで準備を始めるわけですが。

肝心なのは、とにかく最後まで諦めないこと。

うまく行きますように。

2016年6月17日金曜日

2016年6月16日木曜日



「語学の勉強って、どうせ、暗記でしょ。」

そう言う人は、語学が苦手な人に多いようです。

なるほど。語学を暗記だと思ってしまったら、勉強大変だよね。面白くもないし。

語学学習には、コツがあります。膨大な時間を注ぎ込んで、一つ一つ記憶するより、その言語を理解するのが重要です。

「覚える」ことは必要ないと言うつもりはありません。理解すれば、覚えるのも速くなるのです。

一つの外国語に出会ったら、その言語の論理と生理を掴むことです。

言語を動物にたとえてみましょう。動物をつかまえるために、毛を一本づつ引っ張ってもしょうがありません。胴をつかむのです。そうした上で、毛や指を見るのです。

そのためには、その動物がどのように振る舞うのか、よく観察しましょう。

言葉は生き物です。一つの言語には、論理もあり、論理では測りきれないノリみたいなものもあります。

それが掴めたら、毛や爪を覚えるのも速いです。

言語を勉強する時こそ、洞察力や推察力をフル回転させることです。暗記しないであてずっぽうで答えろと言っているのではありません。

文法事項を学ぶとき、背後にどんな大きな法則があるか見極める、と言ったらいいでしょうか。

ごくわかりやすい例で言うと、英語でcanという助動詞が出てきたとき、後に続くのは動詞の原型だと習いますよね。そうしたら、次に他の助動詞を習うとき、後にはやっぱり原型が来るだろう、と、そのくらいは誰でも推察しているのではないでしょうか。

言語はまた、人間が作ったものです。作った人の気持ちになってみましょう。どうしてそうなるのか?がわかるような・・・気がしてきたら・・・しめたものです。

2016年6月13日月曜日

母語と母国語

 私は母国語ではなく、母語という言葉を使っています。この言葉はだんだんと普通に使われるようになってきました。

 語学に携わっている方はよくご存じだと思いますが、母国語という言葉は、場合によっては無意味です。

 ごくわかりやすい例では、国際結婚の両親の間に生まれた子どもの例があります。その子は国籍を二つもっているかもしれないし、一つかもしれません。最初に覚えた言葉も一つかもしれませんし、二つかもしれません。その言葉はその子の国籍(母国)の言葉かもしれませんし、違うかもしれません。

 次に、多くの国で使われている言語のことを考えてみましょう。たとえば、英語が母語である人たちの場合、母国はイギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ、等様々です。

 ところで、カナダの公用語は英語とフランス語です。カナダに生まれた人の場合、最初に覚えた方がその人の母語になります。

 ベルギーの場合、公用語はオランダ語とフランス語とドイツ語です。もちろん、母語が二つあるのも珍しいことではありません。

 インドの公用語は英語です。かつて自分たちを支配していた国の言語を採用したわけです。

 その他、両親が移民として他の国に渡った場合があります。母語はおそらく両親の言葉でしょう。しかし、その子は新しい国で教育を受けます。その国がアメリカやヨーロッパだったら、国籍を得ることもできるでしょう。

 日本人が中南米に移民した時も、同じことが起こりました。家庭では日本語。外ではスペイン語かポルトガル語。住んでいるのは中南米。

 言語は一つの国に属するものではなく、それを話す人たちのもの、というわけです。  

2016年6月12日日曜日

日本語教師になったわけ 3

 当時、フランスにはまだ兵役がありました。前回のブログに登場したフランス語の先生は、若い男性で、兵役適齢期でした。

 しかし、当時でもフランスには、遠い国にフランス語を教えに行くなら、兵役をしなくてよいという決まりがありました。

 もちろん、母語ならだれでも教えられるというわけではありませんから、先生になるための条件をクリアーしなければならなかったわけですが。

 当時は、その先生の他にも、兵役に行く代わりに言葉を教えに来たという先生が何人もいました。熱心で授業が上手な人が多かったですね。

 フランスの政策、おもしろいじゃないか、と私は思いました。言葉や文化を教えることが、国を守ることにもなる。

 フランスについて知り、フランスを好きになった人は、フランスを攻撃したいと思わないだろう。親仏家が増えれば、外交がやりやすくなるだろう。

 そして、異文化の中で数年を過ごしたフランスの若者は、自国とは異なる文化について、いろいろ学ぶだろう。

 お互いに知らなければ、不信が生まれ、憎悪や恐怖が大きくなる。お互いに理解すれば、話し合ってみようじゃないか、という雰囲気が生まれる。

 まぁ、フランス語を話す人が増えれば、世界におけるフランス語のステータスを保つことができる、という思惑もあったとは思いますが。

2016年6月11日土曜日

日本語教師になったわけ 2

ネイティヴの先生

 大学に入った私は、フランス語を学び始めました。

 なぜフランス語かといえば、高校の時に読んだフランス作家の翻訳ものが気に入っていたから、というただそれだけでした。

 最初の一年は、大学で、日本人の先生に、文法を一つ一つ教わりました。入門者用の会話集もありましたが、やはり日本人の先生による授業でした。

 二年目に、当時の東京日仏学院(今はアンスティチュ・フランセというのかな)に週2,3回通い始めました。

 初めての、ネイティヴの先生による、フランス語だけのフランス語の授業でした。

 その先生は、初級者に話させるのが実に上手でした。

 語学の勉強の初級には、何も観念的なものはありません。実際に口を動かす、書いてみる、慣れる、すぐ答えられるよう反射神経を鍛える、と、まるでスポーツのエクササイズみたいな側面があります。

 「身につける」という表現が端的に表しているように。

 その先生の授業はリズムがよくて、楽しくて、生徒はみんな引き込まれてしまいました。

 もう一つ、重要だったのは、日本に住んでいる生徒にとって、先生は、好むと好まざるとにかかわらず、フランス人の代表となっていました。まるで外交使節、でなかったら、フランス語という言語の大使でした。

 家庭教師のバイトなどを通して、教えることの楽しさを発見していた私は、自分も、この先生のように、自国語を教えてみたいと思うようになりました。 

2016年6月10日金曜日

私が日本語教師になったわけ



 私は赤ちゃんの時から日本語をしゃべってきました。

 他の言葉を母語とする人々に日本語を教えようと思ったのは、自分が外国語を学んでいる時のことでした。

 私は、中学校で初めて英語の授業を受け、大学でフランス語を学び始めました。

 それまでずっと日本語だけを使っていた私にとって、英語との出会いは新鮮そのもの。

 もちろん、色々な言語が存在することは知っていたし、児童文学の翻訳ものも読んでいました。しかし、異なる言語というものがどういうものか知らなかった私は、翻訳とは、単語を一々置き換えていけばすむものだと思っていたのです。

 日本語とは構文も文法も文字も違う英語。異なる言語を学ぶことは、異なる考え方、感じ方、表現の仕方を学ぶことでもあると思い知らされました。

 同時に、無意識に話していた日本語を、客観的に見つめなおす機会にもなりました。

 でも、その時はまだ、日本語を教えるということは考えていませんでした。それを仕事として意識したのは、第二外国語との出会いがあってからです。