2016年6月12日日曜日
日本語教師になったわけ 3
当時、フランスにはまだ兵役がありました。前回のブログに登場したフランス語の先生は、若い男性で、兵役適齢期でした。
しかし、当時でもフランスには、遠い国にフランス語を教えに行くなら、兵役をしなくてよいという決まりがありました。
もちろん、母語ならだれでも教えられるというわけではありませんから、先生になるための条件をクリアーしなければならなかったわけですが。
当時は、その先生の他にも、兵役に行く代わりに言葉を教えに来たという先生が何人もいました。熱心で授業が上手な人が多かったですね。
フランスの政策、おもしろいじゃないか、と私は思いました。言葉や文化を教えることが、国を守ることにもなる。
フランスについて知り、フランスを好きになった人は、フランスを攻撃したいと思わないだろう。親仏家が増えれば、外交がやりやすくなるだろう。
そして、異文化の中で数年を過ごしたフランスの若者は、自国とは異なる文化について、いろいろ学ぶだろう。
お互いに知らなければ、不信が生まれ、憎悪や恐怖が大きくなる。お互いに理解すれば、話し合ってみようじゃないか、という雰囲気が生まれる。
まぁ、フランス語を話す人が増えれば、世界におけるフランス語のステータスを保つことができる、という思惑もあったとは思いますが。
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