ラベル 日本語教師、日本語を教える、日本語、外国語 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日本語教師、日本語を教える、日本語、外国語 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年6月18日土曜日

日本語能力試験、がんばって

JLPT、日本語能力試験。2016年一回目は7月3日(日)に迫っています。

先生も学生も追い込みに入ったのでは。

N1を受けるにせよ、N2を受けるにせよ、N3を受けるにせよ、語彙や文法は、今まで習ったものを復習することに時間を使いましょう。自分一人でで勉強する時は、これから新しい問題集などに手を出さないことです。

今まで自分が書いたノートがあればそれを見直し、忘れたところがないかチェックしましょう。これまで勉強してきた参考書をもう一度見直しましょう。

今まで勉強したことを全部覚えていたら、さらに新しいページに進んでもいいでしょう。

聴解や読解は、毎日一問づつでもできるといいですね。

今まで何もしていなかった人は、もちろん、これから急いで準備を始めるわけですが。

肝心なのは、とにかく最後まで諦めないこと。

うまく行きますように。

2016年6月13日月曜日

母語と母国語

 私は母国語ではなく、母語という言葉を使っています。この言葉はだんだんと普通に使われるようになってきました。

 語学に携わっている方はよくご存じだと思いますが、母国語という言葉は、場合によっては無意味です。

 ごくわかりやすい例では、国際結婚の両親の間に生まれた子どもの例があります。その子は国籍を二つもっているかもしれないし、一つかもしれません。最初に覚えた言葉も一つかもしれませんし、二つかもしれません。その言葉はその子の国籍(母国)の言葉かもしれませんし、違うかもしれません。

 次に、多くの国で使われている言語のことを考えてみましょう。たとえば、英語が母語である人たちの場合、母国はイギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ、等様々です。

 ところで、カナダの公用語は英語とフランス語です。カナダに生まれた人の場合、最初に覚えた方がその人の母語になります。

 ベルギーの場合、公用語はオランダ語とフランス語とドイツ語です。もちろん、母語が二つあるのも珍しいことではありません。

 インドの公用語は英語です。かつて自分たちを支配していた国の言語を採用したわけです。

 その他、両親が移民として他の国に渡った場合があります。母語はおそらく両親の言葉でしょう。しかし、その子は新しい国で教育を受けます。その国がアメリカやヨーロッパだったら、国籍を得ることもできるでしょう。

 日本人が中南米に移民した時も、同じことが起こりました。家庭では日本語。外ではスペイン語かポルトガル語。住んでいるのは中南米。

 言語は一つの国に属するものではなく、それを話す人たちのもの、というわけです。  

2016年6月12日日曜日

日本語教師になったわけ 3

 当時、フランスにはまだ兵役がありました。前回のブログに登場したフランス語の先生は、若い男性で、兵役適齢期でした。

 しかし、当時でもフランスには、遠い国にフランス語を教えに行くなら、兵役をしなくてよいという決まりがありました。

 もちろん、母語ならだれでも教えられるというわけではありませんから、先生になるための条件をクリアーしなければならなかったわけですが。

 当時は、その先生の他にも、兵役に行く代わりに言葉を教えに来たという先生が何人もいました。熱心で授業が上手な人が多かったですね。

 フランスの政策、おもしろいじゃないか、と私は思いました。言葉や文化を教えることが、国を守ることにもなる。

 フランスについて知り、フランスを好きになった人は、フランスを攻撃したいと思わないだろう。親仏家が増えれば、外交がやりやすくなるだろう。

 そして、異文化の中で数年を過ごしたフランスの若者は、自国とは異なる文化について、いろいろ学ぶだろう。

 お互いに知らなければ、不信が生まれ、憎悪や恐怖が大きくなる。お互いに理解すれば、話し合ってみようじゃないか、という雰囲気が生まれる。

 まぁ、フランス語を話す人が増えれば、世界におけるフランス語のステータスを保つことができる、という思惑もあったとは思いますが。

2016年6月11日土曜日

日本語教師になったわけ 2

ネイティヴの先生

 大学に入った私は、フランス語を学び始めました。

 なぜフランス語かといえば、高校の時に読んだフランス作家の翻訳ものが気に入っていたから、というただそれだけでした。

 最初の一年は、大学で、日本人の先生に、文法を一つ一つ教わりました。入門者用の会話集もありましたが、やはり日本人の先生による授業でした。

 二年目に、当時の東京日仏学院(今はアンスティチュ・フランセというのかな)に週2,3回通い始めました。

 初めての、ネイティヴの先生による、フランス語だけのフランス語の授業でした。

 その先生は、初級者に話させるのが実に上手でした。

 語学の勉強の初級には、何も観念的なものはありません。実際に口を動かす、書いてみる、慣れる、すぐ答えられるよう反射神経を鍛える、と、まるでスポーツのエクササイズみたいな側面があります。

 「身につける」という表現が端的に表しているように。

 その先生の授業はリズムがよくて、楽しくて、生徒はみんな引き込まれてしまいました。

 もう一つ、重要だったのは、日本に住んでいる生徒にとって、先生は、好むと好まざるとにかかわらず、フランス人の代表となっていました。まるで外交使節、でなかったら、フランス語という言語の大使でした。

 家庭教師のバイトなどを通して、教えることの楽しさを発見していた私は、自分も、この先生のように、自国語を教えてみたいと思うようになりました。 

2016年6月10日金曜日

私が日本語教師になったわけ



 私は赤ちゃんの時から日本語をしゃべってきました。

 他の言葉を母語とする人々に日本語を教えようと思ったのは、自分が外国語を学んでいる時のことでした。

 私は、中学校で初めて英語の授業を受け、大学でフランス語を学び始めました。

 それまでずっと日本語だけを使っていた私にとって、英語との出会いは新鮮そのもの。

 もちろん、色々な言語が存在することは知っていたし、児童文学の翻訳ものも読んでいました。しかし、異なる言語というものがどういうものか知らなかった私は、翻訳とは、単語を一々置き換えていけばすむものだと思っていたのです。

 日本語とは構文も文法も文字も違う英語。異なる言語を学ぶことは、異なる考え方、感じ方、表現の仕方を学ぶことでもあると思い知らされました。

 同時に、無意識に話していた日本語を、客観的に見つめなおす機会にもなりました。

 でも、その時はまだ、日本語を教えるということは考えていませんでした。それを仕事として意識したのは、第二外国語との出会いがあってからです。