2017年4月13日木曜日

フランスの諺 - 卵をあげて牛を得る



フランス語の文章はやたらと複雑だ。

同じことを言うならなるべく複雑に言った方がいいと思っているみたい。

論文などを翻訳するとき、つくづくうんざりしたことがある。

英語とフランス語の完全なバイリンガルであるカナダ人の友人がこう言っていた。
同じ内容の論文を書くのでも、フランス語で書くときと英語で書くときとでは全く書き方が違う。
フランス語で書くときは複雑に書かないと馬鹿にされるし、英語で書くときはシンプルに書かないと馬鹿だと思われる。

伝統的には、小説の描写も複雑な言い方を好む。

だから逆に、カミュやデュラスのシンプル極まりない文体が革命だったのだろう。

しかし、諺の世界を覗くと、フランス語は昔からシンプルだ。

ものすごく短い諺ではこんなのがある。

Peu et bon.

主語も無いし、そもそもフランス語の基本的な文としての構造を成していない。

少しで良い。
少しでおいしい。
その方が逆よりいいね、という意味。

Le peu parler est or, le trop parler est boue.

少し話すのは金、話しすぎるのは泥。
Donner un œuf, pour avoir un bœuf.

卵をあげて牛を得る。
卵の 
œufと牛のbœufが韻を踏んでいる。

もうすぐイースターですね。

こんなかわいい子牛なら、卵みたいに探してみたい。


2017年4月1日土曜日

フランスのモラリスト、ジョゼフ・ジュベールの名言。想像力とは、技術とは、教えるとは


L'imagination est l'oeil de âme.
想像力とは魂の目である。

ジョゼフ・ジュベールは1754年に生まれ、1824年に亡くなりました。

つまり、フランス革命を生きた人です。

モラリストというのは、人がどうあるべきか、どう生きるべきかを考察し、文章に表す人のこと。

ジュベールの場合、生前は何も出版しませんでしたが、死後、親しかったシャトーブリアンによって日記やメモが本として纏められました。

冒頭に挙げたような短い警句の形式をアフォリズムと言います。
ジュベールは、一行で真実を突いてみせるのが得意でした。

手紙も残されています。
2度も夫を亡くしたために何度も結婚してみんなに責められた女性には、励ましの手紙を送っています。
フランス革命後の混乱で命の危険に曝された貴族をかくまったりもしました。

こんな言葉も残しています。

L'art est de chacher l'art.
技術を隠すのが技術である。

artというのはフランス語でも英語でもそうですが、芸術という意味の他に、技術という意味があります。
人間の技ということです。
この場合は技芸と訳すのがもっとぴったりしているのかもしれません。

例えば、良い俳優は、演じていると人に感じさせないものですよね。

もう一つ。

Enseigner, c'est apprendre deux fois.
教えるとは、再び学ぶことだ。

いい先生だったんだろうな。
こういう先生に教わりたい。


2017年3月25日土曜日

幸せを語る英語の名言




happiness という言葉が英語でどんな風に使われているか見ていたら、おもしろい名言を色々発見しました。
少しですがおすそ分けです。

True happiness is... to enjoy the present, without anxious dependence upon the future. Lucius Annaeus Seneca
幸せとは(・・・)現在を楽しむこと。不安な未来に隷属することなしに。
dependence を隷属と訳してみました。
将来への不安に囚われてしまうというニュアンスを出すためです。

この言葉を残したのは、ローマ帝国の哲学者セネカで、ストイシズムで知られています。
ストイシズムを産んだのはセネカではありませんが、彼を通してこの哲学を学ぶ人が多いようです。

ストイシズムが説く人間の幸せ。
それは、欲望や苦しみのとりこになることなく、与えられているものを受け入れることだそうです。
頭を使って自分を取り巻く世界を理解し、大自然の計画の中の自分の役割を果たすこと。
他者をフェアに扱うこと。

後にストイックという言葉はちょっと違う意味で使われるようになりました。
それは、感情に囚われないで冷静にものごとを見極めようとするストイシズムの態度と関係があるのかもしれません。

ストイシズムの考え方には、自然を打ち負かそうとか征服しようというのはなかったんですね。

そういえば、フランス語であの人はphilosopheだと言うと、何かが起こっても感情的にならないとか、冷静に受け止めるという意味になります。

フランス人は感情をバーッと出してしまう人が多いので、そんな表現があるのかもしれません。

さて、幸せを語るもう一つの名言は、大人気のユーチューバーから。

“Let your smile change the world, but don't let the world change your smile.”

あなたのスマイルで世界を変えることです。世界にあなたのスマイルを変えさせないで。

「世界にあなたのスマイルを変えさせる」とは、外部の状況があなたのスマイルを歪ませてしまったり、あなたからスマイルを取り上げる、ということでしょう。

この名言を知るまで、私はsnsの大スターと言われるコナー・フランタ、Connor Franta のことを知りませんでした。

彼は最近ゲイであることをカミングアウトし、「ゲイであることは自分の一部で、自分のすべてではない」と語っています。

2017年3月23日木曜日

ボリス・ヴィアンの名言が新鮮


"
Ce qui m'intéresse, ce n'est pas le bonheur de tous les hommes, c'est celui de chacun."

前回に続いてフランス人による名言。

「私に興味があるのはすべての人間の幸福ではなく、それぞれの人間の幸福だ」

「それぞれの人間」と訳した部分は原文ではchacun。
「みんな」「人々」「各自」と訳されることもあります。
この場合はその前に出てくる「全ての人間」に対比する形で使われているので、「みんな」と訳すと意味がわからなくなってしまいます。

ボリス・ヴィアンは1920年生まれ。
1959年に39歳の若さで亡くなりました。

当時は多くの作家や芸術家が「すべての人間の幸福」を信じていた時代。

ボリスはその波に引きずられることもなければ、「そんなのあり得るものか」と否定するのでもなく、一人一人の人間が異なるものとして尊重されることを望みました。

何が幸せであるかは一人一人違っているはず。

決まったレシピがあるわけでもなければ、アマゾンで売っているわけでもありません。

この言葉、今も十分新鮮なのでは。

39年の短い生涯の間に、ヴィアンは詩や小説を書き、ジャズを論じ、自分でも演奏し、歌を作って歌い、翻訳をし、シナリオを書きました。

翻訳されている小説に『うたかたの日々』(『日々の泡』と同じ)があります。 

2017年3月20日月曜日

おもしろいフランス語表現 - ジャムと教養は似ている?!

La culture, c'est comme la confiture, moins on en a, plus on l'étale.

今回この表現を紹介しようと思ってちょっと調べたら、フランソワーズ・サガンが言った言葉だったようです。

さすがだなあ。

ちなみに翻訳を試みれば、
「教養なんてジャムみたいなもの。少ししか無い場合にかぎって一生懸命塗りたくる」

ん?
なんだこれ?

実は、フランス語で教養はculture(文化と訳す場合もありますね)
ジャムはconfiture
似てるんですよね。

そして、今「塗りたくる」と訳した動詞étaler は「伸ばす、塗る、広げる、誇示する」など様々な意味になります。

つまり、「ジャムは少ししかないとなるべく伸ばして塗るものだし、教養も少ししかない人に限ってひけらかすものだ」ということです。

英語に翻訳しようとすると、ジャムを伸ばすはspread jam で良さそうなんだけど、spread culture と言うと「文化を広める」という意味になってしまって、日本語同様、うまく行きません。

「知識をひけらかす」は parade one's knoledge です。

この表現を教えてくれたのはフランスの造形作家。

ある時、若く血気盛んな私はこう言ったものです。
「アートというものは野生的なものでしょ。アートを教養だの文化だのの一部だと見做してほしくない。教養なんてジャムみたいなもんじゃない。だいたいフランス語ではジャムと教養ってすごく似てるし。」

すると、彼はニヤリと笑って、こういう表現があるよ、と教えてくれたのでした。

先日、国際女性デーのときにマンスプレイニングという英語が話題になりました。

主に男性が女性に、親切めかして、あるいは偉そうに、何かを教えて「あげる」こと。
プライベートでも仕事でも女性からは評判の悪い態度だそうです。

確かに、展覧会などに行ったとき、得々と彼女にご説明していらっしゃる男性などを見かけると、うわっ、このカップル大丈夫かなーと思ってしまいます。

ただし、ウィキによると、男性から女性へとは限らないようですから、女性も要注意ですね。

まあ、気づかなかったことや知らなかったことを誰かに教えてもらったら、いつでも謙虚に耳を傾ける柔軟性は失いたくありません。

そして、自分が誰かに何か話すときは、それが子どもに対してでも、相手の気持ちに気づいていたいですね。

日本には「能ある鷹は爪を隠す」 ということわざがあります。

 

2017年3月17日金曜日

日本人の脚は大根脚?


先日ある日本語のクラスで大根という言葉が出てきました。

そこで、大根をめぐる日本語の表現を少し紹介しました。
大根役者、大根脚・・・

すると、日本人の脚は太いという感想が出てきました。

すかさず、様々な国籍のクラス中の留学生たちが、うん、うんと頷くではありませんか。

脚が見えるのは主にスカートをはいている女性ですから、日本女性の脚は太いということになります。

そういえば、フランスに住んでいたとき、太った女性でも体の割に足が細く見えたものです。

女性が自分の身体のどこを気にするかという日米アンケートでも、日本の女性は足の太さで、アメリカの女性は腰回り、お尻という答えが多かったようです。

それを裏付けるように、我が生徒たちは、「日本の女性は体が瘦せてても足だけは太い」と言うではありませんか。

ということは、主観的に気にしてるだけではなく、客観的にも日本女性の脚は太いのかもしれません。

(ズボン履いててよかった)と私は内心思いました。

「なんでかなぁ。健康にいいとか言って歩きすぎるからじゃない?」と一人の学生。

「それに脚が曲がってる人が多いよね。なんでだろう。」

「あ、それは何世代にもわたって正座してきたからです。」と私は説明してみましたが、彼らは納得しません。

イスラム教の学生は「僕たちもお祈りのとき正座するけど、たいていの人は脚が真っすぐです。」

えー、ほんとう?

「日本の子どもたちが遊んでるところを見ると、足を横に出して座ってる子が多いです。それが原因かもしれません。」

確かに。
うちの子どももフランスにいたとき、小児科に注意されました。

フランスの子どもたちは、床に座るときはあぐらをかくように指導されます。
ちなみに、フランス語で「あぐらをかく」はインド人風に座ると言います。
(でもこの「インド人」はインディアン、つまりネイティヴアメリカンの意味にもなる言葉なので、「ネイティブアメリカン風に座る」ということなのかもしれません。)

いつの日か、外国人留学生が日本人の脚について論文を書き、私たちがすらりとした真っすぐな脚を持つのに貢献してくれる日が来るかも?


 

2017年3月12日日曜日

おもしろいフランス語表現 - よく舐められた子熊?!



Un ourson bien leche. 
(ほんとはフランス語では最後のeの上にチョンが付きます。
皆さんがご覧になるとき文字化けするのが怖いので、無しで書いています。)

「よく舐められた子熊」とフランス語で言うと、お行儀のいい子という意味です。

母熊が一生懸命子熊の世話をしているところを見ると、わかる気がしませんか?

よく育てられた子、育ちのいい子、躾のいい子ということかな。

熊は舐めながら子どもを形作ると考えられていたという説もあり ます。

この写真は春のホッキョクグマですが、かつてはフランスの山や森にもたくさんの熊が住んでいました。

二本足で立つ熊たちのことを、中世以前のフランス人は人間のご先祖様だと思っていたとか。

アイヌやネイティブアメリカンの人々の感じ方と通じるものがありますね。

キリスト教会が力を持つようになると、そうした考え方は好ましくないものとなっていったようです。